東京地方裁判所 昭和48年(ワ)2267号 判決 1973年8月17日
原告 甲山一郎
被告 医療法人社団一陽会 〔一部仮名〕
主文
一 被告は原告に対し、原告が昭和四三年六月五日以降同年一二月二七日までの同被告の開設する陽和病院に入院した間における医師山崎信之の原告に対する診察の結果を記載した診断書を交付せよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨。
二 請求の趣旨に対する答弁
被告は最初になすべき口頭弁論期日に出頭しなかつたので、その提出した答弁書を陳述したものとみなす。右答弁書には、「原告の請求を棄却するとの判決を求める。」趣旨の記載がある。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は「陽和病院」という精神病院を開設し、医療を業とする法人である。
2 原告は昭和四三年六月五日、意に反して右病院に入院させられ、同年一二月二七日退院した。
3 原告は右入院期間中、右病院の医師山崎信之を主治医として診察治療を受けた。
よつて原告は被告に対し、原告の右病院入院中の主治医山崎の診察の結果を記載した診断書の交付を求める。
二 請求原因に対する認否および抗弁
前記答弁書には次の趣旨の記載がある。
「請求原因事実は認める。
(抗弁)
陽和病院は精神衛生法第五条の規定に基づく東京都知事指定の精神病院であり、原告は精神障害者として同法第三三条の規定に基づき右病院に入院した者である。ところで、診断書の交付について、精神病院は本人の医療と保護という立場から、極めて慎重に行なつているのが慣例であつて、病名を診断書の形で本人につけることは医療のため適当でなく、むしろ本人に不利益になることも稀でない。したがつて、医師法第一九条第二項に規定する診断書の交付を拒むについての正当な事由がある。」
三 抗弁に対する認否
抗弁事実中、陽和病院が精神衛生法第五条の規定に基づく東京都知事指定の精神病院であること、原告の入院が同法第三三条の規定に基づくものであるとの点は不知。その余の事実は否認する。
理由
第一、一 請求原因については、当事者間に争いがない。
そして、弁論の全趣旨によると、原告は精神障害者として精神衛生法第三三条の規定に基づき被告の開設する精神病院である陽和病院に入院した者であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
二 そこで、原告が被告に対しその主張のような診断書の交付を求める権利を有するかどうかを判断する。
(一) このためには、先ず、精神衛生法第三三条の入院に関し、精神障害者およびその関係者と精神病院の開設者との間にどのような法律関係が存在するかを考察する必要がある。
精神衛生法第三三条所定の入院は、精神病院の管理者において、診察の結果精神障害者であると診断した者につき、医療および保護のため入院の必要があると認める場合において保護義務者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を入院させることができるとする。右のいわゆる同意入院を同法第二九条および同条の二所定のいわゆる措置入院と比較すると、措置入院の場合は、精神障害者の同意はもちろん保護義務者の同意すら必要とせず、都道府県知事が優越的意思に基づき精神障害者を入院させることができる反面、入院に要する費用は都道府県で支弁し、国は都道府県の支弁した経費の一〇分の八を負担し(同法第三〇条)、例外的に精神障害者またはその扶養義務者に負担させる場合(同法第三一条)には、地方自治法第二二五条所定の公の施設の利用に伴う使用料として徴収することを予定しているものと解される。これに対し、同意入院の場合には、精神病院の管理者が診察の結果精神障害者であると診断した者について医療および保護のため入院の必要があると認める場合においても、必らず保護義務者の同意を必要とするのであり、また、入院に要する費用を公費で支弁、負担する規定を欠き、精神障害者側がこれを負担すべきことを予定しているものとみることができる(もとより、精神障害者が生活保護法による医療扶助や医療に関する各種保険給付を受けることは妨げられないが)。叙上のような措置入院との対比からすると、同意入院は、その基礎に、精神障害者の医療および保護を目的とする私法上の法律関係が存することが知られるのである。
もとより、措置入院は行政上の即時強制の一型態と考えられ、同意入院の場合にも、精神病院の管理者は、入院中の者につきその行動の制限を行うことができ(同法第三八条)、また、入院中の者で自傷他害のおそれがあるものが無断退去して行方不明になつたときは、所轄の警察署長に探索を求めなければならない(同法第三九条)とされており、精神障害者本人についてみれば、同意入院も即時強制に似た強制措置としての性質を帯びるものであることは否定できない。しかし、厳密にいえば、それは同意入院が成立した場合において精神衛生法が行う公法的規整であるにすぎず、同意入院が成立するためには、なによりも保護義務者という私人の意思が必要である。これは、都道府県知事の優越的意思に基づき入院させられる措置入院との間に存する顕著な差異であるというべきである。この点に着目して前記私法上の法律関係を保護義務者の意思に淵源する法律関係、即ち私法上の契約であるとすることは無理な見方でないのみか、精神衛生法が予定しているように入院に要する費用を精神障害者側に負担させることも、当該契約によつて基礎付けることが可能となるのである。
以上を要するに、精神病院の管理者が精神障害者を入院させるという精神衛生法第三三条所定の同意入院は、その基礎に保護義務者の意思に淵源する私法上の契約が存在するとみることができる。
(二) しからば、それをいかなる契約として構成すべきであろうか。
同意入院の目的に徴すれば、右契約は精神障害者の医療および保護を目的とする有償の準委任契約であるとすべきである。また、契約の一方の当事者は保護義務者、相手方は精神病院の開設者であるとすべきである。保護義務者を契約の一方の当事者とみるのは、保護義務者(後見人・配偶者・親権者・扶養義務者等)が、精神衛生法上も、民法の明文または解釈上も、精神障害者に治療を受けさせるよう義務づけられている者であつて(精神衛生法第二二条、民法第八五八条・第七五二条・第八二〇条・第八七七条)、この場合の契約当事者たるに適当した立場にあるものだからである。
右の契約において、精神障害者本人は契約外の第三者となるが、右の契約は、そもそも精神障害者の医療および保護を目的とするものであるから、これを第三者のためにする契約としての性質を有するものと理解すべきである。ただ、精神障害者はその障害の程度により有効な受益の意思表示をなしうるとは限らず、その場合契約の効果を享受できないとするのは、事柄の性質上きわめて不合理であるから、右の第三者のためにする契約においては、要約者(保護義務者)と諾約者(精神病院の開設者)間の特約で、第三者たる精神障害者は、受益の意思表示をまたずに当然に準委任契約に基づく諸々の権利、ことに治療および保護のため適切な措置を求める権利を取得すべきものと定められたとみるのが相当である。
(三) 本件においても、特段の事情がない限り、原告の保護義務者と被告との間に叙上のような趣旨の準委任契約が締結され、これに基づき同意入院がなされたものとみることができる。
(四) そうとすれば、原告は被告に対し、委任事務の処理につき報告を求める権利(民法第六五六条、第六四五条)にもとづき、主治医山崎信之が原告の在院期間中原告を診察した所見を記載した診断書の交付を求することができるとすべきである。
第二そこで、被告の抗弁について判断する。
医師法第一九条は、診察をした医師は診断書の交付の求めがあつた場合には、正当の事由がなければ、これを拒んではならないと規定している。
医療法人との間の医療契約の中には、右医師法の規定の趣旨が当然に合意されていると解すべきである。ところで、正当の事由の有無は、患者の病態、症状、性格等に則し医療および保護の見地から患者に対し診断内容を告知することが相当かどうかによつて決せられるべく、患者が精神障害者であつても既に精神病院から退院しており、その精神障害も消散ないし寛解しているような場合には、診断内容を告知しても必らずしも不相当とはいえないし、また、診断書の内容を、客観性を維持しつつ、医療および保護の立場から工夫することも医師に委ねられた裁量の範囲に属するものとおもわれる。
ところが、被告は原告の現時の病態、症状、性格等に則し医師の診断書を交付することがなんとても不適当であり、原告本人に不利益が生ずるとの点について具体的な主張もしないし、何らの証拠も提出しないので、正当の事由があることを肯認することはできない。
以上によれば原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 蕪山厳)